鎌倉殿の13人で北条義時の正室である”比奈”のビジュアルが公開されて話題になりまし
たね。
そんな北条義時の正室である比奈(姫の前)とはどのような人物なのか気になる人は多
いのではないでしょうか?
”権威無双の女房”と言われるほど当時の鎌倉では相当な美人ということで評判だったようです。
そんな彼女の生涯はいったいどうだったのかについて解説していきたいと思います。
”比奈”のプロフィール
まずは義時の正室である比奈のプロフィールをまとめてみました
- 比奈
- 生没年 ?~1207年
- 鎌倉幕府の御家人比企朝宗の娘
- 義時の次男・朝時、三男・重時を生む
- 鎌倉屈指の美人とも言われ、”権威無双の女房”と言われた
このような簡単なプロフィールになりますね。
”権威無双”とは現代で言えば女王様キャラといった意味に近いと思います。
とりあえず、比奈が本当に女王様キャラ出会ったかどうかはわかりませんが、記述に残
っているものをみる限りでは女王様キャラと思わせるほど美人であったと思われます。
義時の正室になるまでの経緯
もともと比奈は頼朝のお気に入りの女性であったと言われています。
義時はそんな彼女に1年もの間、ラブレターを送るなどして猛アタックします。
しかし”権威無双の女房”であった比奈は義時を全く相手にはしませんでした。
しかし見かねた頼朝が二人の間を取り持って、「絶対に離縁しません」という起請文
(契約を破らないことを、神仏に誓うための文書)を書かせた上で、義時と比奈が結婚
することが決まり比奈は義時の正室になりました。
二人の仲は順調だったようで次男・北条朝時、三男・北条重時を産まれています。
比企能員の乱により義時と離縁
しかし、北条家と比奈の実家である比企家との対立が深まっていくことにより比奈の運
命は大きく動くことになります。
頼朝の死後、後を継いだ2代将軍の頼家は比企家とのつながりを強くしていきます。
自分の娘を頼家の側室にして産まれた子供の一幡を嫡男としたことから外戚として比企
家の力が強くなっていきました。頼家の乳母が比企家当主の能員の奥さんであったこと
が大きな要因であったと考えられます。
この事態に義時やその他北条家は快く思っていないことから対立が深まっていきます。
頼家が急病で倒れて危篤と判断されると北条家は次期将軍を頼家の子供の一幡ではな
く、頼家の弟の実朝を擁立しようとします。しかしそれに怒った比企家は北条家は謀反
を起こしていると頼家に訴えますが、北条家は先回りして返り討ちに遭い最終的に比企
家は滅ぼされます。
比奈は比企家出身ということで義時と離縁することになりました。
離縁後の比奈の晩年
義時と離縁した後は、源具親と再婚したと言われています。
しかし相当義時との離縁と一族が滅ぼされたことのショックが大きかったのか再婚後3年
から4年ほどでなくなったと言われています。
鎌倉殿の13人での八重姫のその後はどうなる?(予想)
現在鎌倉殿の13人では奥さんは八重姫ということになっていますが、どのような展開で
比奈を正室に迎えるのか気になるところですよね。
今回は比奈を義時が正室に迎えるまでの展開を予想してみました。
そのまま一緒に同居?
義時が史実通り比奈に猛アタックして、比奈を正室として迎え入れると考えると八重姫
と同居をするという奇妙な展開になるのではないかとも考えられます。
そうすると女同士のバトルが始まりそうですね!!
八重姫は離縁?
また考えられるのは頼朝が義時の忠義を試すために八重姫を離縁して、比奈を正室とし
て迎え入れるように命令するのではないかとも考えられます。
この展開もなかなかシビアな展開で面白いのではないかと考えます。
八重姫は病気で亡くなる展開にする?
八重姫を病気で亡くなるということで退場させて、その穴を埋める形で比奈を正室とし
て迎えるのではないかとも考えられますよね。
この展開が一番自然ではあると考えられます。
まとめ
比奈の生涯をこのように見ていくと悲劇的な生涯を送っているように思います。
また義時がどのような心情で自分の奥さんの実家を滅ぼすように決断するのかが見どこ
ろですね。
コメント