「鎌倉殿の13人」で頼朝の死因が描かれるということで大きな話題になっていますね!!

頼朝の死因については様々な説があり、わかってはいません。
そこで今回は鎌倉殿の13人でこの死の真相がどのように描かれるのか予想していきたいと思います。
頼朝はいつ死んだのか?

頼朝が死んだ年は1199年と言われています。
鎌倉時代の歴史書である吾妻鏡では1195年12月22日に頼朝が若い頃からの友人の家に遊びにい
ったという記事を最後にして1196年から1199年1月の記述がごっそり抜けているのです。
そして1199年2月6日頼朝の長男である頼家(よりいえ)が後をついで征夷大将軍になったとの記
述が残っています。
このことから頼朝が死んだのが1199年の1月13日と言われています。
頼朝の死因は何?

一般的に言われている頼朝の死因は落馬と言われています。
しかし、それだけでは納得がいかないですよね!!
武士の棟梁という人が馬の扱いをミスするということがそうそうないと考えるのが普通だと思いま
す!!
今まで囁かれている説はこんな感じですね
- 「飲水の病」によるもの
- 北条氏による暗殺
と言われています!!
「飲水の病」と言うのは糖尿病のことだと言われています。
頼朝は糖尿病に罹っていてそれによって死んだのではないかと考えられています。
「北条氏による暗殺」は最終的に北条氏が権力を握ることになることから北条氏が自分の権力の
ために殺したのではないかとする説がありますね!!
鎌倉殿の13人では頼朝の死因はどう描かれるのか

この「鎌倉殿の13人」の脚本を担当している三谷幸喜さんは
「過去の鎌倉時代を扱った大河ドラマである「草燃える」の頼朝の死の描き方があまり納得がいかない」
と語っていることから落馬だけが死の原因ではない描き方をするのではないかと考えます!!
そうすると私が考える死因としては
「寝不足」と「落馬」そして「糖尿病」が組み合わさって死ぬのではないかと考えます。
「寝不足」については前回の24回の放送で
「頼朝はこのところ、熟睡したことがない。」
とナレーションで語っていたことから「寝不足」であることはわかっていますね。
さらに「落馬」は頼朝が馬に乗って移動しているシーンが描かれていることから「落馬」も
描くのではないかと考えられます!!
そして「糖尿病」については描かれていませんが、次回で病気になっていたことが描かれるのでは
ないかと考えられます!!
「寝不足」と「落馬」そして「糖尿病」という複合的な要因が混ざって死んだという描かれ方
をすると考えられます!!
まとめ

このように鎌倉殿の13人で頼朝の死がどのように描かれるのか楽しみですね!!
2022年6月26日の放送が楽しみですね!!
コメント