鎌倉殿の13人で「曽我兄弟の仇討」が描かれるということで話題ですよね!!

今回はそんな「曽我兄弟の仇討」がどのようなもので真相はどうなのかについて徹底考察していきたい
と思います。
曽我兄弟の仇討とは?

源頼朝が幕府の威厳を示すために行った「富士の巻狩り」の最中に曽我十郎、五郎が親の仇である
工藤祐経を殺し、頼朝を暗殺しようとした事件です。
ではなぜそもそも仇討ちを決行したのかを見ていきましょう。
そもそもなぜ仇討ちに?

このように伊藤祐親によって領土を没収されてしまった工藤祐経は伊藤祐親を暗殺しようとして
間違えて、河津祐泰を殺してしまいました。
それから工藤祐経は頼朝に重臣としてかなりの待遇を受けてました。
しかし曽我兄弟(曽我十郎、五郎)は母親が再婚するもあまり良い待遇を受けていないことから
「自分の父親を殺した工藤祐経が出世しているのはおかしい」
ということで仇討ちを決行したと言われています。
仇討ちに関する謎
結局、「曽我兄弟」は頼朝によって処刑されてしまうのですが、工藤祐経の暗殺を果たした後に
頼朝を暗殺しようとしていたことがわかっています。
工藤祐経を暗殺すれば、目的は果たせたはずなのになぜ頼朝の暗殺に踏み切ったのかが大きな謎に
なっています。
そこで言われているのがこの「曽我兄弟の仇討」には黒幕がいるのではないかと言われています。
そんな首謀者ではないかと言われているまたは個人的にそう思う人を取り上げました。
北条時政

北条時政が首謀者ではないかという声はよく聞かれます。
それは北条時政が曽我兄弟の烏帽子親であったと言う事実があります。
烏帽子親とは?
烏帽子親(えぼしおや)とは、元服儀式の際に加冠を行う者のこと。中世武家社会においては、男子が成人に達して元服を行う際に特定の人物に依頼して仮親に為って貰い、当人の頭に烏帽子を被せる役を務めることが通例とされていた。
烏帽子親 – Japanese Wiki Corpus (japanese-wiki-corpus.org)
つまり成人を祝う儀式のときに立ち会う人のことをいうわけですね。
この烏帽子親である北条時政が曽我兄弟に頼朝暗殺を依頼したと考える人もいますが、それはかなりリ
スクが高いと言えるでしょう。
なぜならうまくいかずに曽我兄弟が首謀者を話してしまえば処刑される恐れのほうが高いですよね。
源範頼

個人的には頼朝の弟である源範頼が首謀者でないかと考えます
なぜなら駿河国(静岡県)曽我兄弟が頼朝を殺すために戦闘している間、鎌倉では頼朝が暗殺されるの
ではないかという噂が立ったと言われています。
その時、範頼は周りのみんなを安心させるために
「この鎌倉には私がおりますので大丈夫です。」
と発言したことから、頼朝に謀反を疑われて伊豆に流され処刑されたと言われています。
個人的に一つの失言だけで伊豆に流されて、処刑されたことは罪としてはかなり重すぎるのではないか
と考えます。
その裏には範頼が曽我兄弟を利用し頼朝を暗殺して、自分がトップに立つということを考えていたので
はないかとも推測されます。
まとめ

この「曽我事件」は未だに闇に包まれたままです。
鎌倉殿の13人ではどのように描かれるのか楽しみですね!!
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