大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では源行家を杉本哲太さんが演じていて話題になってい
ますね。
しかしこの源行家は疫病神だとも言われています。
なぜ疫病神と呼ばれるようになったのかは源行家の生涯を見ていくとわかってきます
では今回はそんな源行家の生涯を見ていきましょう❗
源行家のプロフィール
- 生没年 不明~1186年
- 出身 山城国(現在の京都府)
- 源為義の子として誕生、源頼朝の叔父に当たる
- はじめの名乗りは義盛
といった感じです。行家という名前は行家が後白河法皇の妹の八条院の蔵人
(現代の秘書)になったときにつけられた名前です。
なぜ彼がよく疫病神と呼ばれるようになったのかを見ていきましょう。
疫病神と呼ばれる理由は関わる人が全員ひどい目に遭っているから!!
疫病神と呼ばれる所以はこのタイトルの通り
「関わる人が全員ひどい目に遭っているから」
ですね。実際に行家が関わった人たちの最期は悲惨ですね
- 以仁王(後白河法皇の第三王子)・源頼政
平等院にて自害 - 源義円
戦死 - 源義仲
戦死 - 源義経
自害
このような感じになっています。
行家が頼った人全員が戦死か自害といったところですね
では行家がどんな人物だったのか半生を振り返っていきましょう!!
保元の乱に負け、熊野へ
もともと行家は平治の乱で頼朝の父である義朝と協力して平清盛と戦いましたが敗れ、
熊野の方に潜んでいました。
いずれまた来るであろうチャンスを伺っていたのかも知れません。
その後、1180年に以仁王(後白河法皇の第三王子)の挙兵により、源頼政から全国
の武士に平家討伐を促す役目を任されたそうです。
ここから行家の運命は大きく動いていきます。
墨俣川の合戦
その後、頼朝とは行動をともにせず、美濃(岐阜県)で拠点を持つことに成功します。
そして平家と墨俣川で戦うことになるのですが、この戦いに敗北してしまいます。
共に戦った甥の義円は戦死、行家は偽の情報を流すなどして敵を撹乱させ逃亡することに成功します。
源義仲を頼る
その後、相模国の松田郷に住み着き、頼朝に所領をくださいといって拒否され同じよう
に信濃に勢力を広げていた源義仲を頼ります。
そして義仲と協力して京都から平家を追い出すことに成功します。
しかし、義仲は政治運営がうまくいかなかったこともあり、朝廷と対立します。
そして義仲は鎌倉から朝廷の命令を受けてきた来た討伐軍に敗れ、討ち死にします。
そんななか行家は義仲が朝廷と対立した時点で義仲を見限り、討伐軍の総大将であった
義経と手を組み義仲を追討しています。
なんという身のこなしといった感じですね!!
義経とともに頼朝に対抗
その後、平家が滅ぶと次は義経と頼朝の対立が激化していきます。
同じように行家も頼朝に謀反の疑いがあるとして疑われて追討の兵が派遣されました。
これに対抗するように義経と行家は手を組んで朝廷に頼朝を討つ命令を下すように促し
ますが、朝廷に拒否されます。
頼朝に捕まり処刑
その後、義経は現在の東北地方に拠点を持っている奥州藤原氏を頼り、逃亡
行家は頼朝の兵に捕まり斬首されることになります。
まとめ
このように行家は頼った相手が全員滅んでいくという悲しい人生を送っています。
そして最期は頼朝によって斬首されてしまうという結末になっています。
しかし、少しフォローをすると合戦には弱かったですが、謀略や撤退戦は得意という
面がありました。
誰かが行家の特性に気づいて支えてあげればこんな人生は送らなかったのかも知れませ
んね。
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