ずっと真夜中でいいのに(ずとまよ)の「夏枯れ」のMVの一部が
公開されて話題ですね!!
映画「雨を告げる漂流団地」の挿入歌ということで
注目している人も多いと思います。
今回はそんなずとまよの夏枯れの歌詞の意味を徹底考察していきたいと
思います。
ずとまよ「夏枯れ」の歌詞の意味を徹底考察!!

まだ歌詞は一部しか公開されていませんが、
考察していきたいと思います。
「木目に沿うように 並んで眠る夜」では
みんなで雑魚寝をしている様子が情景として思い浮かびますよね。
「思い出なんかじゃ 片付かない程
君の相槌が 妙に嬉しくて」では
この雑魚寝をして過ごした夜は忘れられないほど記憶に残っていることが
わかりますよね。
「君の相槌」というところで友達とわいわいはしゃいでいる情景が浮かびますね。
「忘れらんない夕日が 君にとっても 同じ想いだってきっと
幻みたいな偶然を 探し回った夏」では
「忘れらんない夕日」というのが思い出にエモーショナルなスパイスを
含んでいますよね。
「幻みたいな偶然」というのは旅の中で起こる奇跡に近いことということだと考えます。
「今日で終わってしまうなら
君に会えた それだけで ただ」では
ここから急に切なくなっていくのがわかります。
私達が出会うことができたこの偶然が素晴らしいことだと言っている
ことがわかります。

「泣きそうで 訊けなくて 繰返し笑い合うんだ 居たくなる旅」では
かけがえのない旅だったとこの旅が終わることを悔やんでいることが
わかりますね!!
ずとまよの歌詞は韻の踏み方がうまいことでも有名です。
なので今回の歌詞dもこんなコメントがありました。
凄いことに気がついてしまった 夏枯れの最後、「居たくなる旅」って歌詞だけど、これ2番とかで絶対「痛くなる度」で韻踏んでくるよね!? これで予想外したら恥ずかしいけど
夏枯れの1番?の最後の歌詞「居たくなる旅」って「痛くなる度」て意味もあるのかなぁ~なんて思いました?早くフル聞きたい!!!!夏枯れめっちゃ好きだ!!!、
ツイッターより引用
このように最後の「居たくなる旅」は2番の歌詞では「痛くなる度」と
韻を踏んでくるのではないかと予測する人がいました。
この旅が終わってほしくないという「居たくなる旅」と
なにか切なさを感じている「痛くなる度」をかけ合わせてくるということは
十分に考えられると思います。
ずとまよ「夏枯れ」は映画「雨を告げる漂流団地」とリンクしている?

ずとまよの「夏枯れ」は映画「雨を告げる漂流団地」の挿入歌なので
「雨を告げる漂流団地」のストーリーとリンクしているのではないか
と考えられます。
まずは「雨を告げる漂流団地」のストーリーを見ていきましょう。
まるで姉弟のように育った幼なじみの航祐と夏芽。 小学6年生になった二人は、航祐の祖父・安次の他界をきっかけにギクシャクしはじめた。 夏休みのある日、航祐はクラスメイトとともに 取り壊しの進む「おばけ団地」に忍び込む。 その団地は、航祐と夏芽が育った思い出の家。 航祐はそこで思いがけず夏芽と遭遇し、謎の少年・のっぽの存在について聞かされる。 すると、突然不思議な現象に巻き込まれ―― 気づくとそこは、あたり一面の大海原。 航祐たちを乗せ、団地は謎の海を漂流する。 はじめてのサバイバル生活。力を合わせる子どもたち。 泣いたりケンカしたり、仲直りしたり? 果たして元の世界へ戻れるのか? ひと夏の別れの旅がはじまる―
映画「雨を告げる漂流団地」公式サイト (hyoryu-danchi.com)より引用
小学生のひと夏の別れの旅とというのがこのストーリーのテーマになっていること
がわかりますね。
ずとまよの夏枯れの歌詞を見ていくと
旅という言葉やみんなで雑魚寝をする情景など
どこか懐かしさを感じますね。

また夏枯れについてこんなコメントがありました。
夏枯れ、団地住み経験あるの?って歌詞 韻踏むなら懐かれ、な疲れあたり?
ツイッターより引用
このように
「夏枯れ」は「懐かれ」または「な疲れ」と韻を踏んでいるとも考えられます。
大人がこの映画を観る時に小学生時代を思い出して「懐かれ」と思う、
または団地という今はあまり見られなくなった風景に「懐かれ」という思いを
はせるということなのだと思います。
「な疲れ」と言うのは日々の社会生活に疲れている大人に見てほしいという意味が
込められているのではないかと考えられます。
まとめ
今回はずとまよの夏枯れの歌詞の意味を徹底考察していきました。
歌詞が全部公開されたらそれに対する考察も追記していきたい
と思います。
映画の公開が楽しみですね!!
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